一の宮とは



 一の宮は、平安時代から鎌倉時代初期にかけて逐次、整った一種の社格です。
 それは、朝廷や国司が特に指定したものではなく、諸国において由緒の深い神社、信仰の篤い神社が勢力を有するに至って、おのずから神社の序列が生じ、その最上位にあるものが一の宮とされ、以下二の宮・三の宮・四の宮と順位がつけられたものです。
しかし、時代の変遷とともに変化もあったようで、一国内に二社以上の「一の宮」が存在するのはそのためです。なお、一の宮の称は一国についてだけでなく、一郡・一郷の、また一社内各神殿での一の宮・二の宮などという称も行なわれました。「全国一の宮会」は、これら古い由緒と地域の信仰の柱となっている「一の宮」の古社が手を携え、ご神徳の発揚を目的として平成三年十月八日に発足したものです。
 江戸時代前期の神道家・橘三喜は、延宝三年(一六七五)から元禄十年(一六九七)にかけ、二十三年の歳月を費して全国の「一の宮」をはじめ諸社寺に参拝し、『一宮巡詣記』全十三巻を著しました。これを契機に庶民の間にも一の宮 参拝の風が広まり、多くの人々が巡拝しました。現在、神社は自然保護や環境問題に対する意識の高まりとともに、日本人の精神のふるさと、文化の源流として改めて脚光を浴びております。この度、「全国一の宮会」の共通頒布品として、『全国一の宮御朱印帳』を奉製いたしました。
 一の宮に該当する神社の選定につきましては、神社本庁調査部で作製した『全国一の宮表』(昭和三十六年一月二十三日付)、宮地直一『神祇史体系』、『大日本一宮記』(「群書類従」神祇部所収)、岡田正利『一宮巡詣記抜粋』を基とし、歴史的に一の宮を名乗ったとみられる神社を網羅しました。  なお、巡拝は全国の旅になりますので、北海道、沖縄などの由緒ある神社を「新一の宮」として併記しました。神社名称につきましては『全国神社名鑑』の記載に準拠いたしました。

御朱印とは

 巡拝者の参拝に対して、ご祭神が参拝の祈願や真心を表することにより与えられる御神印であります。
 諸国一の宮に御鎮座する神々、天津神・国津神・八百万神に直接参拝できる事はこのうえもなく、生きている喜びを感受できることです。 巡拝を重ねて御朱印帳にご神印の数が増えるにしたがって、知らず知らずのうちに自らの充実が感じられてきます。
 古代からわれわれの祖先が畏敬し、神聖な地として今日まで継承してきた清き地に身を置き、手を合わせ、拍手を打つ行為だけで、清く、明るく、素直な心、清浄なる空間・時間を自然にすごせるからです。
 自ら巡拝して、これを受時するものは、必ず神々のご加護に依り請願の祈願が成就し、現世から未来への光を与えられます。そればかりではなく自ら意思の証として、この御朱印帳は輝き家宝となります。末永く護持される事を祈ります。



全国一の宮御朱印帳 冒頭の文


一の宮巡拝

 諸国一の宮巡拝を始められるようになったのは、江戸時代の延宝3年から元禄10年(1675〜97)にかけ、23年の歳月を費やした橘三喜が、諸国の一の宮を巡拝し『一宮巡詣記』13巻を著しました。この頃、一般用地図色刷の『元禄絵図』に諸国一宮表掲載され、多くの人々が一の宮巡拝の旅をするようになりました。そして諸国一宮の名を記した廻国記念碑が寺などに寄進されたものが残されています。


諸国一の宮

 古代の人々が、この島国の自然に神を見、そこに神が宿った所を清浄な地として崇め、畏敬してきた地が、二千年の歳月がたった今日も、神厳がそのまま生きています。しかも、日本全国に宝石のように散りばめられ、輝いています。それが全国一の宮巡拝すると見えてくる不思議な国日本です。
 一の宮巡拝は、古代の神厳がそのまま残っていて、神域に身体を置き理屈ではなく、神様に感謝の心をいだくだけで己の何かが変ります。環境的にも清浄な地が残されています。これは多くの巡拝を完拝された方は経験されています。この巡拝者のためのつくられたガイドブックで、携帯に便利なようにポケット版のカラー印刷・写真・地図を豊富に入れました。
『諸国一の宮』は、巡拝の旅のお役に立つように工夫してつくられた資料であり、ガイドブックです。

諸国一の宮
内容
一宮考・古代自然信仰・神々の系統・大祓祝詞
畿内の一の宮・東海道の一の宮・東山道の一の宮
陸奥の一の宮・北陸道の一の宮・山陰道の一の宮
山陽道の一の宮・南海道の一の宮・西海道の一の宮
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