西海道さいかいどう


 大化改新以前は筑紫・西偏(古事記)・西州(神代紀)・西道(崇神紀)とも称されていた。西海道の名は、文武天皇の大宝元年(701)の条にみられる。五畿(畿内)七道の一つの西海道は、弥生時代から古代・中世、さらに西洋文化を導入した時代を通じて、日本の歴史上、とくに外交史にしばしば注目すべき展開がなされた。和銅6年(713)、日向から大隅がわけられ「九州」となった。西海道を統轄する太宰府が鎮西府と改められてより、九州を鎮西とよぶ別称が生まれた。『延喜式』に記載されている西海道の交通路は、山陽道をへて太宰府にいたる大路、太宰府から肥前・筑後を通り肥後・薩摩の国府をへて、大隅いたる西路(小路)、豊前で大路とわかれ、豊後・日向の国府をへて、大隅に通じる東路(小路)のほか、支路・別路があった。



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